2011年10月10日月曜日

第16回 黒部五郎の思い出 その3



■黒部五郎小舎

 黒部五郎小舎は、双六小屋と太郎平小屋の長い尾根道の途中の谷間にぽつりとたたずんでいる。この間、昭文社の山と高原の地図のコースタイムで、約十時間である、縦走の重い荷物を背負って、尾根道とはいえアップダウンの激しいこの登山道に、登山者の安全のためにも、位置的になくてはならない小屋である。登山口からもやはり、十時間前後かかるので、体調を壊して、または、怪我をして歩けなくなり、富山県警の救助ヘリで、この小屋から搬送される方も当然のように毎年数人でてきます。無理なツアー登山で、ダウンしてしまう高齢の方もいらっしゃって、山くらい、のんびり歩こうよと言いたくなる。




■山小屋で出会った人達、その後

 今回、話しは黒部のことではないのだが・・・。これまでに、夏に山小屋でご一緒させていただいた方々はたくさんいるのだけれど、この秋は、そのうち二人を雑誌上で見た、あるいは見ることになる。

 「見た」という雑誌の一つは、すでに既刊の「フィールドライフ」というエイ出版が登山用品店などで、無料で配っているアウトドア系の季刊誌である。先日、高田馬場のカモシカスポーツに買い物に行った際に、ご自由にお持ちくださいと置かれていた。はじめて持ち帰ってパラパラとめくっていたところ、黒部源流部のフライフィッシングの紀行文が載っていた。へ~~誰か知っている人でもでているかなと、記事を見てみると、旅の主は二名。一人はアウトドア系のライターさんで、もう一人は・・・サングラスをかけた写真だったので、パッと見わからなかったのだけど、その松山氏なる人物の経歴をみて、ああ!っと思い出した。

 そう、3年前の夏、僕が太郎平小屋で、一夏、受付に座っていたときに、薬師沢小屋にシーズン初めからバイトで入っていた松山君であった。その夏、一日休暇で、薬師沢小屋に遊びに行った時に、雨の中、午後の釣りに付き合ってもらった、釣りキチである(笑)。もともと、大学のアメフト部のクオーターバックとして活躍しながら、研究室の博士課程で、文化人類学のフィールドワークを続けていたという、文武両道な人物なのだが、怪我で大好きなアメフトができなくなり、新たに、得た世界がフライフィッシングだったらしい、その夜は、熱い思いを一生懸命に語ってくれた。もう、フライを初めて15年位になっていた僕は、自分がフライを始めたばかりの頃、いや、それ以上の思いで、この釣りに夢中になっているなー、彼、と、その時に感じていた。

 そして、紀行文を読み進んでみると、現在はティムコという、釣具のメーカーに勤務しているらしい。僕も昔からフライのフックはティムコ(TIEMCO)製を使っている。しかし、ということは、彼は、フライフィッシングの世界で生きて行く決心をしたってことなんだな。ふむふむ、それも素晴らしい人生だしね また、黒部で彼と一緖に釣ることもあるだろう。

■山と渓谷デビュー

 で、「これから見る」のほうは誰かというと、毎年GWに小屋開けの手伝いに行く、南アルプスの鳳凰小屋。僕はGWだけしか行かないんだけど、この4年間、春から秋にかけて小屋番としてフルシーズン働いているのが、宇佐美君。初めて会ったのは彼がGWにも来るようになった、3年前だっけかな。神奈川出身で、高校では陸上選手として活躍。東京の写真専門学校をでて、スタジオで修行後、なぜか鳳凰小屋に迷いこんできた。しかし、この四年間で小屋の仕事をしながら、写真を撮りため、ついに、雑誌「山と渓谷」の11月号(10/15発売)で、写真家として、グラビアデビューするそうです、僕も書店で見れるのを楽しみにしている。僕自身、この連休も鳳凰行く予定が、ちと仕事でお流れになったので・・紅葉は終わってるっぽいけど、今週末にワインでも持って、お祝い兼ねて遊びに行ってくるかな。

 偶然、山の世界にふらふらっと、やって来た彼らも、そこで、何かを感じ、考え、やがては、それぞれの世界へ。しかし、旅立っていっても、彼らにとって、山小屋は第二の故郷になるのだろう。自然とは、山とは、なんという豊かさと、人の人生さえも変えてしまう魔力を持ちあわせているのかと思う。

 

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